武将列伝帖

やまだ じろうごろう もりなお

山田次郎五郎盛直

【氏】【姓】朝臣【名】山田【通称】次郎五郎【諱】盛直

別 名

山田強力(やまだ ごうりき)

出 身

不明

官 途

不明

所 属

生 年

不明

没 年

不明

 

- 列 伝 -

伯耆国堤城を本拠地とした伯耆山田氏の一族。

山田重直の次男で庶流の出自と伝え、時期は不明だが一族の家城、堤城の城主とする記述が見える。

山田家系譜によれば本家は毛利氏、庶流は吉川氏に仕えたとすることから兄の山田信直毛利氏、自身は吉川氏へ仕えていたこととなる。

 

1582年(天正10年)9月、山田重直山田信直らは吉川元春の部将として南条方の伯耆国羽衣石城の攻略戦に参陣している。

羽衣石城攻略戦では参戦したとする記述が見えないことから、山田重直の留守を預かり伯耆国高野宮城へ詰めていたと考えられる。

攻略戦の最中に山田信直が陣没しており、羽衣石城陥落後に得た久米郡28石は家城の堤城を優先して回復したとする場合、遅くとも1584年(天正12年)の京芸和睦成立までに家督は譲られていたものと推測される。

京芸和睦による領地確定後、堤城南条氏の所領となり、山田重直と共に会見郡柏尾村の伯耆国小鷹城へと移っている。

 

1592年(天正20年)、小鷹城にて山田重直が没する。(伯耆民談記)

父に代わり柏尾の地を治め、続けて善政を敷いたことから領民より慕われたと伝えている。

 

1601年(慶長6年)、関ヶ原での敗戦により吉川氏が周防国岩国へ転封となると家臣のひとりとして付き従い、共に岩国へと移っている。

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