不詳
源
朝臣
久秀
尼子氏が出雲国末次城を奪取した頃、伯耆国米子城(飯山城)の城主と伝える。
登場する年代が不明瞭で官途も不明となっているが尼子方に所属としていることから、元亀年間に尼子再興戦で毛利方を離反したと伝える山名之玄や山名之茲、山名之益などの伝が元になっていると考えられる。
字面からの推測になるが毛利方に与した山名秀之の諱を誤って逆に記載した上、通字の「之」を「久」と写した可能性が考えられる。
山名秀之の写し間違えと仮定しても所属が逆転しているなど整合性が取れず創作の人物とも考えられる。
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