武将列伝帖
やまな じぶのたいふ ひでゆき
山名治部大輔秀之
【氏】源【姓】朝臣【名】山名【通称】治部大輔【諱】秀之
別 名
-
出 身
不明
官 途
治部大輔
所 属
伯耆山名氏⇒毛利氏
生 年
不明
没 年
1569年(永禄12年)
- 列 伝 -
毛利氏に与した伯耆山名氏の一族。伯耆国米子城(飯山城)の城主。
1562年(永禄5年)、尼子方の領有していた米子城(飯山城)を毛利方の吉川元春が攻略した際、毛利方に与し従軍しており、米子城(飯山城)を回復すると城主に任命されている。
1569年(永禄12年)、尼子家再興の軍を興した旧臣、山中幸盛に米子城(飯山城)を奪われ自害とされる。
伯耆志では米子城(飯山城)を回復した翌年の1563年(永禄6年)、山名之茲の裏切りにより尼子方へ城を奪われるが登場せず記述も見えない。
一部郷土史では米子城(飯山城)を回復した後に毛利方を裏切り山中幸盛ら尼子再興軍を城内に迎え入れたとする内容も見えるが、尼子方へ寝返ったとする山名之玄や山名之茲、山名之益などと混同されていることが原因と考えられる。