伯耆国 会見郡

こたかじょう まるやまこや

小鷹城 丸山固屋

南部 小鷹城 丸山固屋

所在地

鳥取県西伯郡南部町福成

城 名

小鷹城 丸山固屋(こたかじょう まるやまこや)

別 名

小應城(こたかじょう)…鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)に記載されるが誤植とも考えられる。

築城主

不詳

築城年

不詳

廃城年

不詳

形 態

平城

遺 構

郭跡、堀

現 状

小鷹神社

備 考

史跡指定なし

縄張図

不詳

城 主

毛利

伯耆堤城を追われたため伯耆小鷹城へと移る。

城 主

毛利

吉川

山田重直の家督を受け継ぎ吉川広家の岩国転封まで周辺を治める。

参考資料(史料及び文献、郷土史など)

伯耆志(因伯叢書 伯耆志巻二 大正5年8月 佐伯元吉 因伯叢書発行所)

会見町誌(昭和48年12月 会見町誌編さん委員会)

会見町誌 続編(平成7年10月 会見町誌編さん企画委員会)

戦国動乱期の伯耆-その戦乱の跡をたどる-(2007年11月 米子市立山陰歴史館)

福田正八幡宮の栞

年 表

1563年

永禄6年

毛利方に与した片山平左衛門の攻撃を受け陥落したとある。(会見町誌)

1564年

永禄7年

尼子氏の支配する城であったが、伯耆国新山要害山城(出雲国安田要害山城)など近隣諸城が毛利氏に攻略され属城になったと伝えられる。(丸山城或いは丸山固屋の出来事とする)

1585年

天正13年

1月、芸京和睦により伯耆国堤城を追われた山田重直らが入城し居城とした。

1592年

天正20年

3月14日、山田重直が没すると山田家の家督を庶子で次男、山田盛直が引き継ぐ。

1601年

慶長6年

関ヶ原の戦いで西軍として戦った吉川広家が岩国へ転封となると山田盛直ら山田家も付き従い、吉川家の家臣として共に岩国へと移った。

概 略

現在は小鷹神社が鎮座する。

伯耆国小鷹城の支城のひとつと考えられるが会見町誌では「丸山固屋」をこの位置としている。

川堀の北には小鷹城の城主(山田重直親子など)の居館(山田氏館)があり、川堀には木橋が架けられ居館と城を連結していたと推定される。

 

会見町誌では当固屋を山田氏館としており、1563年(永禄6年)に毛利方に与した片山平左衛門の攻撃を受け陥落したとある。

 

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)では小鷹城の説明に「南西200mに小應城が見られる」として小鷹城から南西に200mの場所に小應城(こたかじょう)とする別の城郭が存在するとして扱われているが、「應」は「応」の旧字であり「たか」と読むことは無いと思われるため誤植とも考えられる。

写 真

2013年6月16日

小鷹神社

小鷹神社

小鷹神社

小鷹神社

小鷹神社の境内

小鷹神社境内

小鷹神社の案内板

小鷹神社案内板

北側の水濠

北側水濠

北側の水濠

北側水濠

北側の水濠

北側水濠

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