伯耆古城図録

こたかじょう まるやまこや

小鷹城 丸山固屋

鳥取県西伯郡南部町福成

別 名

小應城(こたかじょう)

遺 構

郭跡、堀

現 状

小鷹神社

城 主

(毛利方)山田重直

(吉川方)山田盛直

築城年

不明

廃城年

不明

築城主

不明

形 態

平城

備 考

史跡指定なし

参考文献

会見町誌(昭和48年12月 会見町誌編さん委員会)

会見町誌 続編(平成7年11月 会見町誌編さん企画委員会)

戦国動乱期の伯耆-その戦乱の跡をたどる-(2007年11月 米子市立山陰歴史館)

福田正八幡宮の栞

縄張図

不明

 

概 略

現在は小鷹神社が鎮座している。

伯耆国小鷹城の支城のひとつと考えられるが会見町誌では「丸山固屋」をこの位置としている。

川堀の北には小鷹城の城主(山田重直親子など)の居館(山田氏館)があり、川堀には木橋が架けられ居館と城を連結していたと推定される。

 

会見町誌では当固屋を山田氏館としており、1563年(永禄6年)に毛利方に与した片山平左衛門の攻撃を受け陥落したとある。

 

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)では小鷹城の説明に「南西200mに小應城が見られる」として小應城(こたかじょう)という名称を挙げている。

 

年 表

1563年

永禄6年

毛利方に与した片山平左衛門の攻撃を受け陥落したとある。(会見町誌)

1564年

永禄7年

尼子氏の支配する城であったが、伯耆国新山要害山城(出雲国安田要害山城)など近隣諸城が毛利氏に攻略され属城になったと伝えられる。(丸山城あるいは丸山固屋の出来事として記述される)

1585年

天正13年

1月、芸京和睦により伯耆国堤城を追われた山田重直らが入城し居城とした。

1592年

天正20年

3月14日、山田重直が没すると山田家の家督を庶子で次男、山田盛直が引き継ぐ。

1601年

慶長6年

関ヶ原の戦いで西軍として戦った吉川広家が岩国へ転封となると山田盛直ら山田家も付き従い、吉川家の家臣として共に岩国へと移った。

地 図

 

写 真

訪城日 2013/06/16

小鷹神社

小鷹神社

小鷹神社の境内

小鷹神社の案内板

北側の水濠

北側の水濠

北側の水濠

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