所 属

中村

よみがな

人物名

のいしき うねめ

野一色釆女

官 途

采女司

出身地

不詳

生 年

不詳

没 年

不詳

不詳

不詳

不詳

列 伝

中村家の家老。禄高は8,000石。伯耆志では野一色助義の子としている。

伯耆国飯山城が所在した飯之山に居館を構えていたことに因み、伯耆国米子城東之丸采女丸と呼称される。

 

伯耆志 中村氏臣物頭以上

八千石 野一色采女

(略)野一色采女、父頼母は慶長五年、美濃株瀬川に戦死す。采女飯山に在りし故に彼山を采女丸と呼ぶ。

 

1600年10月20日(慶長5年9月14日)

杭瀬川の戦いで父、野一色助義が戦死したため家老職と禄高8,000石を引き継いでいる。

 

同じ家老職であった横田村詮とは不仲で対立があったと伝えられており、横田騒動の一因となった安井清一郎天野宗杷らによる横田村詮の暗殺計画に加担或いは計画の首謀者とする陰謀説も見える。

 

杭瀬川の戦いにおける野一色助義ら重臣の討死については敵方の島清興の采配、用兵に拠るところもあるが、中村一忠有馬豊氏らの独断専行による軽率な行動に起因する部分も少なからず影響していると考えられるため、中村一忠に対しても一定の恨みを持っていたことが伺える。

父、野一色助義の戦死、政敵であった横田村詮との対立から横田村詮の暗殺計画を企て、中村家の転覆を謀った黒幕とも囁かれるが、一定の状況証拠に留まり確証を得られるに至っていない。

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