武将列伝帖
やの いずみのかみ まさとも
矢野和泉守正倫
【氏】不明【姓】不明【名】矢野【通称】和泉守【諱】正倫
別 名
矢野和泉(やの いずみ)
出 身
不明
官 途
和泉守
所 属
中村氏⇒豊臣氏
生 年
不明
没 年
1614年(慶長19年)11月26日
- 列 伝 -
中村家の家臣。伯耆国江美城の城番を任じられ、禄高は3,000石。
横田騒動で柳生宗章と対峙した矢野助之進を同族とする郷土史もあるが血縁は不明。
中村記には矢野兵庫が2,000石の禄高であることが記されているため一族が重用されていたことが伺える。(中村記(弐) 稲葉書房 昭和49年6月)
1609年(慶長14年)、中村家の改易後は浪人となり、中村一忠が遺した京都の子の元へ流転したとする。
1614年 (慶長19年)、大坂冬の陣では大野修理より300騎を預かり今福村周辺に布陣し砦の防衛に当っている。
同年11月26日、徳川方の佐竹義宣の部隊との戦闘で討死。(今福の戦い)
最期まで中村家の再興を願い、主家に殉じた忠臣と評される。