所 属
毛利
杉原
▶
毛利
吉川
よみがな
人物名
すぎはら つねすけ
杉原常佐
幼 名
すぎはら こさわか
杉原小才若
「こさいわか」とも
官 途
不詳
出身地
不詳
生 年
不詳
没 年
不詳
氏
平
姓
朝臣
諱
常佐
列 伝
1563年(永禄6年)
行松正盛が病死したことから杉原盛重が行松正盛の妻と再婚することとなり、行松正盛の子で養子となった徳若(杉原元盛)が長男、松千代(杉原景盛)が次男となったため、杉原盛重の嫡子である兄の杉原景保が三男、自身が四男となった。
行松正盛の後家との再婚は伯耆国内統治の為の政略結婚の側面があり、行松氏の家督を正当に引き継いだことを周知する意図が伺える。
1582年1月19日(天正9年12月25日)
杉原盛重の没後、家督を継いだ杉原元盛は杉原景盛によって謀殺され、兄の家督を継承しようとした杉原景盛も謀叛を企てた罪により誅殺、行松正盛の流れを汲む伯耆杉原家は改易となっている。
伯耆杉原家の改易後、杉原景保は吉川氏に仕え3,000貫を拝領したとされる。
鳥取県内の郷土史では改易後も3,000石の俸禄を与えられ存続したとする記述が見えるが、恐らく3,000貫との取り違いと考えられ、記述の内容から兄と共に吉川氏に仕えたと推測される。