武将列伝帖
すぎはら つねすけ
杉原常佐
【氏】不明【姓】不明【名】杉原【通称】不明【諱】常佐
幼 名
小才若(こさいわか)
出 身
不明
官 途
不明
所 属
毛利氏
生 年
不明
没 年
不明
- 列 伝 -
毛利家の家臣、杉原盛重の嫡男で次男とされる人物。
杉原盛重と行松正盛の妻との再婚により、行松正盛の子で養子となった徳若(杉原元盛)が長男、松千代(杉原景盛)が次男となり、杉原盛重の嫡男である兄の杉原景保が三男、自身が四男となった。
行松正盛の後家との再婚は伯耆国内統治の為の配慮であり、行松氏の家督を正当に引き継いだことを周知する意図も伺える。
1582年1月19日(天正9年12月25日)、杉原盛重が伯耆国八橋城にて没する。
杉原盛重の没後、家督を継いだ長男の杉原元盛は杉原景盛によって謀殺、家督を継承しようとした次男の杉原景盛も謀叛を企てた罪により誅殺され杉原家は改易となった。
改易後、兄の杉原景保は吉川氏に仕えたとされるが自身の動向は不明。
一説には改易後も3,000石の俸禄を与えられ存続したと郷土誌に見える。