武将列伝更新
伯耆米子城(飯山城)の城番。「福頼左衛門尉」として1524年の大永の五月崩れでは尼子方の侵攻に抵抗し部隊を指揮する武将として登場し、1598年(慶長3年)の慶長の役では蔚山の戦いで戦功を挙げるなど、約一世紀という長いの間、戦場の第一線で大活躍する武将です。
活躍期間の長さから三国志で言う蜀将、廖元倹(廖化)を髣髴とする武将ですが、彼と同様に途中で同名の人物に代わっている可能性もあります。
福頼元秀の二男とされる人物。父と共に行動することが多かったようで伯耆香原山城の戦いや蔚山の戦いで戦功を挙げています。
福頼元秀の六男とされる人物。島根表で戦功を挙げた後、出雲国へ異動していることから出雲国で福頼氏の拠点を維持した人物と推定されます。
尼子方の武将で中国の前漢時代の豪将、樊噲に例えられる無双(或いは最強と言っても過言ではない?)の勇将。福頼元秀とは米子城で一戦交えます。
腕っぷしの強さもさることながら風向を捉える能力に長け、火計を得意としたようです。