【 伯耆古城図録(湯梨浜町篇) 】田後城 ※加筆修正

2021/11/02

【 伯耆古城図録(湯梨浜町篇)更新 】田後城 ※加筆修正

新修 羽合町史からの記述を参考に加筆修正を行いました。

多くの書籍で天正年間の東伯耆の要の3城は「羽衣石城」「打吹城」「泊城」とされていますが、羽合町史では「羽衣石城」「打吹城」「田後城」としているようです。

馬ノ山砦に対するライン…と考えると色々と見えてくるのかもしれません。

ちなみに尼子氏が勢力圏にしていた頃は「羽衣石城」「打吹城」「八橋城」が要の3城として挙げられているので時代によっても重要度が変化するようです。

(鳥取県東伯郡湯梨浜町田後(字城の内))

【 武将列伝更新 】

進幸広…会見郡八幡ノ郷坂中村を拠点とした進氏の一族。日野郡古市村の海蔵寺台地の開拓を始めた人物です。

山を切り開き開墾地を広げていたことから開田の技術に長け、拠点の古市村は砂鉄が産出されていたと伯耆志にあることからたたら製鉄に関する技術も有したと考えられます。(後にこの地の鉄製品の生産地、野上庄も領有します)

暫くの後、開田と製鉄の技術に長けた一族の蜂塚氏が日野衆として台頭しますが共通する事象が多く、蜂塚氏の出自が進氏であったのでは…とする可能性も考えさせられます。

houki-cf

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