よみがな

人物名

しんのぶぜんのかみ ゆきひろ

進豊前守幸広

出身

不詳

生年

不詳

没年

不詳

朝臣

通称

豊前守

幸広

官途

豊前守

別名

進豊前守幸廣(しんのぶぜんのかみ ゆきひろ)

 

進豊前守幸寛(しんのぶぜんのかみ ゆきひろ)

 

進四郎三郎(しんのしろうさぶろう)

所属

列 伝

伯耆国日野郡で海蔵寺台地の開拓を始め、伯耆国古市城進氏館)に居館を構えた人物。

一族は会見郡八幡ノ郷坂中村に居住した進氏としている。

古市城進氏館)の城主は「進長者」と呼ばれ、世襲により代々「四郎三郎」の通称を名乗ったとしている。

伯耆志では古市村に於いて鉄砂の産出が記されていることから、開田とたたら製鉄の技術を有した一族と考えられ、同じ日野郡の国人、蜂塚氏との共通点も伺える。

 

応永年間(1394年~1428年)、古市村から3町ほど離れた山地(現在の字「海蔵寺」周辺)を切り崩し、台地の造成を開始している。

この削平の目的が当初から農地の拡張なのか、或いは鉄砂を得て鉄穴流しのために始められた事業とするかは不明。

造成された削平地は開墾され耕作に適した地へと改変されている。

 

伯耆志 古市村の条 海蔵寺跡の項

村の頂上断岸二丈許にして平面方五丁許の地を都て海蔵寺と唱う。此地より又一層にして一段許の平地あり。此所に観音堂あり。此所四方の眺望によろし。一説に此地進豊前幸廣と云える人居住せしと云えり。近地墳墓多し。上に見ゆる幸廣夫妻の墓等往古は海蔵寺の地に在りしを後世今の地に移すと云えり。今按るに件の進氏は会見郡坂中村に住居せし進氏の一族なるべし。今、作州(欠字)郡(欠字)村に進五郎左衛門あり。此幸廣の後なりと伝えり。当家に就いてよく尋ぬべし。

 

伯耆志 古市村の条 古墓の項

村中路傍に二あり。進豊前幸廣夫妻の墓と云えり。又、村の南庄村に至る路傍に一あり。詳ならず。

 

伯耆志では海蔵寺台地から庄(荘)村へ続く道中に1段(町)の広さを持つ平地があり、此処に観音堂が鎮座し、往古は城主の居館が構えられていたと伝える。

周辺には墳墓が多く見られ、夫妻の墓も祀られていたが後に他の場所へ移されたとしている。

 

一族は海蔵寺台地の開拓が始まった応永年間(1394年~1428年)頃から1575年(天正3年)まで7代に渡って古市城進氏館)を居城にしたとあり、嫡子には進太良右衛門進九郎三郎進太良右衛門の嫡子に進源太夫進源太夫の嫡子に進甚九郎幸経と系図が続く。

 

伯耆志では作州に移った進五郎左衛門も後裔であるとしているが、進原五左衛門と記述されている。

日吉津村誌では作州三家村に移った進五左衛門南条虎熊(宗勝)の家老とし、村誌収録の紀氏譜記では南条虎熊(宗勝)の家臣としている。

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