伯耆国 汗入郡
もずらじょう
文珠領城
所在地
鳥取県西伯郡大山町古御堂文珠領
城 名
文珠領城(もずらじょう)
別 名
文珠領屋敷(もずらやしき)…文珠領遺跡Ⅰ発掘調査報告書に見える呼称。
築城主
不詳
築城年
不詳
廃城年
不詳
形 態
平城、居館跡
遺 構
郭跡、土塁(礎石 列石)、川堀、切岸
現 状
前田神社、住宅、水田
備 考
史跡指定なし
縄張図
不詳
城 主
不詳
委細不詳。
参考資料(史料及び文献、郷土史など)
文珠領遺跡Ⅰ発掘調査報告書 住雲寺本堂建て替え工事に伴う埋蔵文化財発掘調査(平成22年3月 大山町教育委員会)
新修鳥取県神社誌 因伯のみやしろ(平成24年6月 鳥取県神社誌編纂委員会)
年 表
不明
発掘調査により中世城館の所在が確認される。
概 略
前田神社を含む約33間(約60m)四方の方形区画が中世城館跡と推定されている。(大山町教育委員会)
約33間四方の方形区画の他、前田神社から道路を隔てた北側の住宅地は一段低くなっており、西側に用水路(堀跡か)が見られ、こちらも方形区画である。
神社東側も用水路を隔てた民家、空き地までが城域の一部と考えられることから、城域が約33間四方で収まるかは今後の調査に期待したい。
周辺の各発掘調査報告書では「文珠領屋敷遺跡」として一帯が図示されている。
城館跡とされる前田神社が鎮座する郭は一段高く、側面は切岸状に加工され、更に切岸上部には土塁が配されている。
切岸直下の外周にはU字溝に改変されてはいるが水路が巡らされている。
この水路は空堀或いは水堀など塹壕の溝を利用した造作と考えられ、切岸、土塁、堀を配することで意図して防御力を高めた造りの城館であったと推定される。
城館の構造から簡素な村城などではなく比較的身分の高い人物の居館と推測される。
城砦や城主に関する直接的な記述のある史料は現時点で見つかっていない。
地元での口伝や伝承も伝わっていないため詳細の一切が不明とされる。
立地的には鎌倉時代頃に名和氏、或いは名和氏に与した一族の居館との推測が有力とされるが、名和氏に従わず独自に勢力を保った一族が居城とした可能性の他、周辺の地名から寺領であった推測も考えられる。
写 真
2014年5月17日