所 属

中村

よみがな

人物名

ふじえ くらんど

藤江蔵人

 

別 名

ふじい くらんど

藤井蔵人

続群書類従 中村一氏記での表記

官 途

蔵人頭

出身地

不詳

生 年

不詳

没 年

不詳

不詳

不詳

不詳

列 伝

中村家の家老。

中村家での禄高は伯耆志、中村記、続群書類従(中村一氏記)のいずれも6,000石。

 

続群書類従 中村一氏記

(略)矢野和泉藤井蔵人、市橋監物、近藤左近、沼間主膳、依藤半右衛門、藪内匠、右七人は六千石。

百五十石ずつ金子十枚宛。(略)

 

伯耆志 中村氏臣物頭以上

六千百石 藤江蔵人

 

1600年(慶長5年)

関ヶ原の合戦における褒賞として150石と金子10枚が与えられている。

 

伯耆志 前城主中村氏の条

(略)横田が表門の討手は一忠の物頭、依藤半左衛門藤江蔵人、戸川丹波、矢野助之進、室田與左衛門、大勢を卒して馳向う。

 

1603年12月16日(慶長8年11月14日)

中村一忠によって横田村詮が誅殺される。

横田村詮殺害の報せを受けた横田主馬助は横田家の遺臣二百余名と飯山砦内膳丸とも)に立て籠もる。

 

1603年12月17日(慶長8年11月15日)

出雲国月山富田城から堀尾吉晴の援軍が大龍山總泉寺へ到着し、増援の到着を以て中村方の総攻撃が開始される。

横田方の立て籠もった書院責口(表門)を攻略する大将のひとりとして部隊の指揮にあたっている。(伯耆志)

 

天文年間に蜂塚氏と共に尼子方に与した藤井内蔵頭、毛利方に与して伯耆国江美城の城番とされる藤江蔵人は別人と推測される。

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