旧跡図録

かみよどはいじあと

上淀廃寺跡

鳥取県米子市淀江町福岡

遺 構

金堂跡、塔跡、心礎、石敷跡、付属建物跡

※遺構は全て埋め戻されているため目視できるものは復元物。

現 状

史跡公園、山林、原野

建立年

683年

建立主

汗入郡衙?

備 考

国指定史跡(平成8年)

参考文献

上淀廃寺跡パンフレット(米子市教育委員会)

よどえの郷トークプレイス講座テキスト

 

概 略

飛鳥時代(7世紀)の終わり頃に建立された寺院の跡と云われる。(一説には683年の創建とも)

1991年(平成3年)からの発掘調査によって金堂跡からは粘土製の仏像の破片や国内最古級の仏教壁画が発見されている。

当寺の伽藍配置は三塔一金堂の特徴的な配置であったと考えられているが、金堂東側の三塔(北塔・中塔・南塔)のうち北塔は心礎のみで基壇の痕跡が確認されないことから北塔については建物の存在の有無が未だ不明とされる。

 

汗入郡衙が郡内秩序の安定を図って建立したとも考えられているが、平安時代中頃(11世紀初め頃)には火災によって焼失、その後復興されることはなかったとされる。

この時の火災によって金堂の仏教壁画が焼き付き残ったと考えられ、火災の高熱によってベンガラ、緑青、群青などの顔料以外の色彩は失われてしまっている。

 

当寺の創建を白鳳時代と記述するものもあるが、白鳳時代とは文化史上の時代区分であり、飛鳥時代から奈良時代の間で大化の改新を境に645年~710年頃までを指し、壬申の乱(672年)を境に更に前期・後期に分けられる。

 

※掲載の解説板写真につきましては上淀白鳳の丘展示館様より掲載の許可を得ています。

 

年 表

683年

天武12年

この頃の創建と云われる。

752年

天平勝宝4年

この頃に本尊が丈六三尊像に替わったとされる。

1000年

長保2年

この頃に焼失したとされる。

地 図

 

写 真

訪問日 2014/08/31

伽藍配置

南側からの遠望

概要解説板

周辺の地形模型

復元図案内板

金堂、中塔、南塔の復元図

三塔の遠景

石敷き

石敷き跡の解説板

築地塀跡

築地塀跡の銘板

金堂跡と三塔跡

寺院配置の解説板

金堂の瓦積み基壇

金堂跡の解説板

北塔心礎

北塔心礎の解説板

中塔跡

中塔跡の解説板

南塔跡

南塔跡の解説板

104・103号付属建物跡

付属建物跡の解説板

105号付属建物跡

付属建物跡の解説板

鐘楼跡

鐘楼跡の案内板

111・115号付属建物跡

付属建物跡の銘板

付属建物・先行建物群

付属建物・先行建物群の解説板

121号付属建物跡

付属建物跡の銘板

東の索道から北尾城

上淀廃寺跡から北尾城の遠望

上淀廃寺跡から寺内城の遠望

向かいには天神垣神社

天神垣神社の境内

天神垣神社のサイノカミ

上 へ

戻 る