よみがな
人物名
いとう まごべえ
依藤孫兵衛
出身
不詳
生年
不詳
没年
不詳
氏
不詳
姓
不詳
名
依藤
通称
不詳
諱
孫兵衛
官途
不詳
別名
依藤牛之助(いとう うまのすけ)
所属
中村
列 伝
中村家の家臣。禄高は1,000石。
文献によって通称は異なるが総じて弓の達人とされる。
1603年(慶長8年)、中村家筆頭家老、横田村詮の暗殺を発端とした米子騒動では「無双の強弓」と称され、敵方の狭間(城壁にある小窓)を悉く閉じる(狭間の相手を射て無力化させた)ほど正確な射撃の腕を見せている。
騒動の後は幕府からの沙汰を恐れ出仕を拒む安井清一郎に業を煮やした中村一忠より打手(討手)を申し付けられている。
安井清一郎は出仕要請を頑に拒み、屋敷の門を堅く閉ざしていたため宅内に入ることが出来なかったが向かいの屋敷の屋根に上り、そこから屋敷の中に矢を射掛け、2射目で安井清一郎に命中させたとある。
異説に上ったのは向かいの屋敷ではなく安井清一郎の屋敷で屋根の上から矢を射掛けたとする説もあり、こちらも2射目で命中させている。
矢傷を受けたはずの安井清一郎だが一向に屋外へ出てくる気配がなかったため屋敷に火をかけたとある。
この後には諸説あり、炎に燻されて出てきたところを捕らえ城内に連行し切腹させたとも、燃え盛る屋敷の中で父子揃って切腹させたなどの顛末が伝わる。