不詳
古曳
善三郎
種秀
古曳吉種の嫡男。古曳家二代目。
1592年(天正20年、文禄元年)11月26日、碧蹄館の戦いで父、古曳吉種の戦死が伝えられると、母と共に実久村へと移っている。
移転先には諸説あり、古市村、上境村、大袋村などが見える。
吉川広家からは養育の打診があったと云われるが、母はこれを断り古市村の牧野家に身を寄せたとし、古曳吉種の遺訓が「子孫は弓・槍・剣・戟などの武術は一切無用」とした旨であったことから帰農したとする。
異説には帰農の理由に3万石(或いは6万石)を拝領していた古曳吉種の遺した家臣団を養うことが出来なかったことが原因とされる。
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