所 属

毛利

吉川

古曳

よみがな

人物名

こびき ぜんさぶろう たねひで

古曳善三郎種秀

官 途

不詳

出身地

伯耆国会見郡

生 年

不詳

没 年

不詳

不詳

不詳

種秀

列 伝

古曳吉種の嫡男。古曳家二代目。

 

1592年12月17日(天正20年11月24日)

朝鮮半島に於いて父、古曳吉種の戦没を伝える。(覚應山本教寺 寺伝)

 

1593年2月27日(文禄2年1月26日)

一説には古曳吉種の戦死は碧蹄館の戦いと伝える。

古曳吉種の戦死が伝えられると、母と共に実久村へと移ったとされるが移転先には諸説あり、古市村、上境村、大袋村などを伝える。

吉川広家から養育の打診があったとも伝えるが、母はこれを断り古市村の牧野家に身を寄せている。

古曳吉種の遺訓には「子孫は弓、槍、剣、戟などの武術は一切無用」とした旨であったことから帰農したとする。

 

帰農の理由には3万石(或いは6万石)を拝領していた古曳吉種の遺した家臣団を養うことが出来なかったことが原因ともされる。

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