伯耆古城図録

なわしやかた

名和氏館

鳥取県西伯郡大山町坪田

別 名

名和又太郎屋敷(なわまたたろうやしき)、デーノヤシキ、名和公館跡(なわこうやかたあと)

遺 構

郭跡、川堀

現 状

史跡公園

城 主

(名和方)名和長年名和義高名和義光名和行高

築城年

不明

廃城年

不明

形 態

居館

備 考

大山町指定文化財(昭和57年5月31日指定)

参考文献

名和町誌(1978年)

縄張図

不明

 

概 略

名和長年の居館跡で、名和氏二代の居館と云われる。

汗入郡万覚帳では名和又太郎屋敷とある。

南側から西側にかけて流れる東谷川を天然の堀(川堀)、東側には土塁と空堀を配することで居館の防御力を高めている。

 

居館より東側、長綱寺の裏山には名和氏の詰城が所在したとも伝わる。

詰城跡とされる山は現在、鎌倉時代に船上山の戦いで幕府軍と戦い命を落とした名和氏一族郎党の墓が祀られているが、敵対勢力に荒らされることを恐れた一族の手で埋められたと云われる。

昭和の頃、山林開発によって五輪塔などが出土し、発掘当初は誰の墓なのかはっきりとしなかったが後に名和家に伝わる古文書によって名和氏一族郎党の墓であることが判明している。

 

居館跡の近くには名和長年の菩提寺である長綱寺を始め、一族郎党の墓、的石、三人五輪、名和神社、氏殿神社、元弘帝御着船所、後醍醐天皇の腰掛岩など、太平記に縁のある場所が多く残る。

 

年 表

鎌倉時代

名和氏二代の居館であったと云われる。

地 図

 

写 真

訪城日 2014/2/23

伝・名和氏館跡

伝・名和氏館跡

居館跡の入口

居館の郭跡の様子

名和神君碑

名和神君碑

川堀とされる東谷川

長綱寺裏山は詰城とも伝わる

名和氏の菩提寺「長綱寺」

長綱寺の硯石

名和氏一族郎党の墓

名和氏一族郎党の墓

名和氏一族郎党の墓

名和氏一族郎党の墓

長綱寺裏山の詰城の郭跡

的石

的石

名和神社の鳥居

名和神社入口

名和神社

名和神社

元弘帝御着船所

後醍醐天皇の腰掛岩

後醍醐天皇の腰掛岩

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