伯耆国 汗入郡
なわしやかた
名和氏館
参考資料(史料及び文献、郷土史など)
汗入郡万覚帳
名和町誌(1978年)
年 表
鎌倉時代
名和氏二代の居館であったと伝える。
概 略
名和長年の居館跡で、名和氏二代の居館と伝える。
汗入郡万覚帳では「名和又太郎屋敷」とある。
南側から西側にかけて流れる東谷川を天然の堀(川堀)、東側には土塁と空堀を配することで居館の防御力を高めている。
居館より東側、長綱寺の裏山には名和氏の詰城が所在したとも伝わる。
詰城跡とされる山は現在、鎌倉時代に船上山の戦いで幕府軍と戦い命を落とした名和氏一族郎党の墓が祀られているが、敵対勢力に荒らされることを恐れた一族の手で埋められたと伝える。
昭和の頃、山林開発によって五輪塔などが出土し、発掘当初は誰の墓なのかはっきりとしなかったが後に名和家に伝わる古文書によって名和氏一族郎党の墓であることが判明している。
居館跡の近くには名和長年の菩提寺である長綱寺を始め、一族郎党の墓、的石、三人五輪、名和神社、氏殿神社、元弘帝御着船所、後醍醐天皇の腰掛岩など、太平記に縁のある場所が多く残る。
写 真
2014年2月23日