伯耆古城図録
まのしやかた
真野氏館
鳥取県米子市日下
別 名
-
遺 構
土塁(残存状態は極端に悪い)
現 状
久坂山瑞仙寺
城 主
(伯耆山名方)真野隠岐守
築城年
1400年代(15世紀中)
廃城年
不明
築城主
真野氏
形 態
居館
備 考
史跡指定なし
参考文献
伯耆志(因伯叢書 伯耆志巻三 大正5年9月 佐伯元吉 因伯叢書発行所)
瑞仙寺文書
縄張図
真野氏館略測図(鳥取県教育委員会提供)
鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)
概 略
真野氏の居館について、所在の特定はなされていないが、日下の久坂山瑞仙寺周辺と伝わる。
伯耆志 日下村の条 瑞泉寺の項
寺地往古は今の地より東南三丁許りの處にて今の地は真野隠岐守といいし人の別荘の墟なりといえり。
伯耆志では往古の瑞泉寺の所在を現地より東南に三丁(約330m)としており、現在の瑞泉寺が真野隠岐守の別荘跡としている。
代々、土豪の真野氏らによって寺院は守られ、十五世紀半頃には伯耆山名氏によって現在地に移されたとしている。
1108年(天仁元年)、康和の乱(源義親の乱)において、平正盛によって討ち取られた源義親の菩提を弔うため、源義親の家来が出家し建立したのが寺の始まりと伝えられる。
年 表
15世紀半ば
伯耆山名氏によって瑞仙寺がこの地に移されると、寺を代々守ってきた真野氏も居館を当地に移したものと推測される。
築城及び廃城は共に15世紀半ば頃と伝わり、伯耆国日下城と同じ時期と思われる。
地 図
写 真
訪城日 2013/06/29
久坂山瑞仙寺
久坂山瑞仙寺
山門
花壇の紫陽花
本殿
境内
境内
南の土塁の残り
境内
現地案内板
西側の土塁
西側の土塁端
東側の土塁
南側の土塁
南側の土塁
北部の土塁は消滅