伯耆国 会見郡
うわいちじょう
上市城
所在地
鳥取県米子市尾高
城 名
上市城(うわいちじょう)
別 名
上市屋敷(うわいちやしき)…字名に因む呼称。
築城主
不詳
築城年
不詳
廃城年
不詳
形 態
居館
遺 構
不詳
現 状
住宅地
備 考
史跡指定なし
縄張図
不詳
参考資料(史料及び文献、郷土史など)
日本城郭全集11(1967年10月31日初版 株式会社 新人物往来社)
日本城郭大系<第14巻>(1980年(昭和55年)4月10日発行 株式会社 新人物往来社)
尾高の里<Ⅲ>(昭和56年6月 野口徳正)
概 略
1967年(昭和42年)10月31日発行(初版)の「日本城郭全集11」に掲載される城郭。
本書には「尾高の上市集落から西北200mに所在する」との記述があり、城主を真野隠岐守としている。
野口徳正氏の著した「尾高の里<Ⅲ>」では、ろくに調査もされず不勉強甚だしい記述だと酷評され地元の古老の話にも上市に城跡があったとする伝承は一切出てこないとしている。
当地を城跡と推定した理由に尾高周辺の方位を南北180度逆転して描かれた古地図が存在しており、その古地図に記された城跡の表記(尾高城を図示)を地元の地理に詳しくない人間が当城跡と勘違いしたことが考えられる。
「日本城郭全集11」を元にした1980年(昭和55年)4月10日発行の「日本城郭大系<第14巻>」では当城の記述は消えており、発行元も間違いに気付いたものと思われる。(記述が残っている版も確認。初版辺りで直っていない可能性がある)
上市集落は尾高の城下で商業が栄えた場所であり、城跡や砦跡と言った類の戦闘用施設ではなく商家や富豪などの屋敷が軒を連ねたと考えられ、現在も町並みにはその名残が見られる。
仮に城館が置かれたとして、推定地となり得そうなのは旧木野山神社や青龍山源光寺など寺社跡などが考えられる。
周辺の旧字には「南屋敷」「北屋敷東」「北屋敷西」「瓦屋敷」「小市場屋敷」「新市屋敷」「市成」と、市場や商人の屋敷から由来する字名が多く見られる。
写 真
2013年4月26日、2014年7月20日