伯耆国 久米郡
いちばじょう
市場城
所在地
鳥取県倉吉市小鴨
城 名
いちばじょう
市場城
市場村への所在に因む
別 名
おがもじょう
小鴨城
所在する地名に因み近年では小鴨氏の居館とする
築城主
不詳
築城年
不詳
廃城年
1580年7月6日(天正8年5月25日)
形 態
丘城
遺 構
郭跡、土塁、堀切、登り土塁、空堀、水堀、水濠、切岸、虎口※
※ 東側は平入虎口、南西側は枡形虎口
現 状
畑地、竹林
備 考
史跡指定なし
縄張図
市場城略測図(鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編))※鳥取県教育委員会提供
参考資料(史料及び文献、郷土史など)
伯耆民諺記(寛保2年 松岡布政)
伯耆民諺記(写)(昭和23年 原田謙)
伯耆民談記 巻上(大正3年1月 佐伯元吉 因伯叢書発行所)
伯耆民談記 巻下(大正3年3月 佐伯元吉 因伯叢書発行所)
伯耆民談記(昭和2年10月 佐伯元吉)
因伯文庫 伯耆民談記(昭和35年3月 萩原直正校註)
因伯古城跡図志下 伯耆国(文政元年 鳥取藩)
新修 倉吉市史 第二巻 中・近世編(平成7年3月 倉吉市史編集委員会)
伯州刺史 南條公(昭和56年5月第2版 東郷町神波勝衞)
年 表
天正年間
小鴨氏の家臣、岡田某の居城と伝える。(伯耆民談記)
概 略
伯耆国岩倉城から北西4Kmほど先の丘陵裾部に所在したと伝え、小鴨氏の家臣であった岡田某の居城と伝える。(伯耆民談記)
「鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)」の縄張図では北部を不明瞭とし、主郭とする二段の方形区画までを記載しているが、主郭北側の空堀から更に北側、字林ヶ平以北にも土塁、空堀、郭跡(田畑、果樹畑への転用か改変)と推測される地形が見えることから、丘陵全体を防衛ラインと見立てた岩倉城の支城として、伯耆国今倉城や伯耆国三江城方面からの攻撃に備えた城砦とも推察される。
縄張図に見える南西側の土塁と枡形虎口の部分は天神野方面へ抜けるための道路建設により一部が消滅している。
郭跡もある程度の広さを持つ平坦面の殆ど全てが田畑(果樹畑や茶畑)とされ、斜面も芋畑に転用されていたと聞くが近年は耕作放棄地も増え、多くは竹薮となっている。
南西側の枡形は虎口に対する全ての面が切岸状で、対応する上部の郭にはそれぞれ土塁が上積みされていることから、主郭の南側~南東側にも虎口から繋がる防御施設(土塁など)が存在したと推測されるが現在は遺構を確認することができない。
主郭東郭の北側と主郭西郭の南側から伸びる土塁は丘陵斜面に沿って東から西に向かって登り土塁となっており、南西側~西側にかけた土塁と空堀の底の高低差は6~8mほどの比高となっている。
往時は更に高低差があったと考えられ、西側の空堀の南側は底が広い箱堀状だが北側に進むにつれて狭くなり、薬研堀状となっている。
現在は乾いているが数十年前は泥濘の見える場所もあり、箱堀状の箇所は水堀であった可能性もあるが、茶畑などの用水路が通っていたことから単に水が溜まり易い地形になっているとも考えられる。
通説では岩倉城の支城とされているが、城砦の規模や構造、城下の経済活動の状況から周辺地域を統治する政庁としては岩倉城よりも当城の方が適当であった可能性が推測される。
城砦の立地場所も台地の頂部ではなく敢えて中腹に位置していること、発掘調査からも城砦ではなく屋敷で使用されたと考えられる焼き物の遺物が多く出土していることから、居館として機能した期間も長いことが伺える。
当城が岩倉城と同様に「小鴨城」とも呼称される由縁も地名から取った説と、当城の本来の性質を伝えた呼称である可能性もある。
伯耆民談記 巻之第十三 久米郡古城之事 市場城之事
当城は小鴨庄市場村の上にあり。此城は岩倉領にして小鴨家の臣、岡田某が居城なり。天正十年五月、岩倉の城、吉川元長の為に滅亡し、其時当城も同く破滅す。 岡田は死を遁れ流落の身となり所々を徘徊しけるが後には盗となりて遂に因州に於いて死罪に行はれたりと云ふ。又当村を市場と称する事は昔時岩倉城繁昌の時、毎歳(春秋の)大市と云ふ事有りて自領他領の民牛馬を牽て此処に群集し市を立て売買せり。其頃は近国の諸武士等も多く来て乗馬を求めしと也。是によりて此処を市場村と称すと。又此並村に大宮大明神と云ふ神社あり。岩倉の城鎮守の神にてむかしは世に聞こへたる大社なり。小鴨大明神とも号す彼の大市の事、当社祭日の前七日より是を始め、当日を限りて終る。されば民間今尚小鴨市と称するは其時よりの事と云へり。
伯耆民談記では岩倉城と運命を共にした城と記述される。
但し、直接戦火による落城とまでは断定できず、城主であった岡田某も逃亡していることから岩倉城の落城に及び放棄されたとも考えられる。
因伯古城跡図志 市場村古城跡
高六間位、天神野之裾通松林有、当時山上社地也。
文政元年の因伯古城跡図志には城跡について上記の記述が見える。
地元の話では道路(313号線)の建設予定地となり消滅する予定だったが、工事前の発掘調査で遺跡が見つかり工事計画は中断になったとする話があった。
このため、一部の地主が土地を売りそびれたという笑い話もあった。※筆者が幼い頃聞いた話なので信憑性は…
写 真
2019年2月24日