伯耆国 会見郡
たかひめほうけいやかた
高姫方形館

所在地
鳥取県西伯郡南部町高姫
城 名
たかひめほうけいやかた
高姫方形館
築城主
不詳
築城年
不詳
廃城年
不詳
形 態
居館跡
遺 構
郭跡、土塁、腰郭、空堀、土塁、井戸跡※、横堀
※ 複数現存
現 状
畑地、山林、墓地
備 考
史跡指定なし
縄張図
高姫方形館略測図(鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編))※鳥取県教育委員会提供
城 主
巨勢
星川氏
星川氏の荘館のひとつとしている(会見町誌)
参考資料(史料及び文献、郷土史など)
会見町誌(昭和48年11月 会見町誌編さん企画委員会)
会見町誌 続編(平成7年10月 会見町誌編さん企画委員会)
会見町誌 完結編(平成16年9月会見町誌完結編編纂委員会)
年 表
不明
巨勢氏の一族で在地豪族、星川氏の采地であったと伝える。
星川郷、星川荘などの記述は見えるが居館に関する記述は見られない。
概 略
星川荘内に所在した居館(荘館)のひとつと伝える。
荘内には伯耆国浅井土居敷、伯耆国宮前館など星川氏に関係する荘館の所在を記す。(会見町誌)
東側の丘陵には高姫古墳群が所在しており、古くからこの地で人々が生活を営んでいたことが伺える。
縄張は南側への備えを重視した設計となっており、南東に所在する伯耆国高姫根小松砦との連携を考えた場合、法勝寺往来となる谷部街道の監視を担った施設と推測される。
法勝寺方面に対する備えと考える場合、星川氏の拠点とする浅井土居敷を護るための前線基地のひとつとも推測される。
写 真
2014年2月22日




























