所 属

池田

米子荒尾

よみがな

人物名

あらお たじまのかみ なりしげ

荒尾但馬守成重

 

幼 名

あらお へいざえもん

荒尾平左衛門

 

 

通 称

あらお げんば

荒尾玄蕃

 

 

通 称

あらお たじま

荒尾但馬

 

官 途

但馬守

出身地

不詳

生 年

1653年(承応2年)

没 年

1692年6月4日(元禄5年4月20日)

高階

朝臣

成重

列 伝

同月、家臣の林大次郎らの死亡届の取り扱いについて虚偽があったとされ、父の荒尾成裕と共に蟄居を命じられた。

 

池田家の家老、荒尾成直の次男。

伯耆国米子城預かりで米子荒尾氏3代目。家老として藩主池田光仲に仕えた。

 

延宝~天和~貞享年間(1673年~1688年)頃

弓ヶ浜の開拓を始め、富益村、和田村、夜見村、大崎村などを開村した。

 

1655年(明暦元年)

父、荒尾成直の幕府への証人(人質)として江戸へ送られている。(当時3歳)

 

1669年(寛文9年12月)

兄の荒尾成氏が24歳で急逝する。

 

1670年(寛文10年5月)

荒尾成直より継嗣と定められる。

 

1674年(延宝2年4月)

「玄蕃」と名乗る。

 

1679年(延宝7年3月)

荒尾成直が死去すると家督を相続し米子城預かりとなる。

1679年(延宝7年5月)

荒尾成直が非常時のためにと蓄えた1万両を藩札両替の資として藩に献金する。

 

1680年(延宝8年9月)

但馬と改名。

 

1681年(天和元年1月)

弟の荒尾成紹を藩士へと推挙し、後に召出されている。

一説には奉公人としての推挙であったともされ、荒尾成紹は1,000石を給し荒尾家の米子分家となった。

 

1684年(貞享元年5月)

嫡男の平左衛門荒尾成倫が誕生する。

 

1690年(元禄3年9月)

米子城入り。

 

1692年6月4日(元禄5年4月20日)

死去。40歳。

家督は嫡男の平左衛門荒尾成倫が相続したが、幼かったため分家当主の荒尾成紹が後見役を務めた。

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