武将列伝帖
こまつ し
小松氏
【氏】不明【姓】不明【名】小松
出 身
会見郡小松庄
所 属
名和氏
- 列 伝 -
名和氏に与したとされる在地豪族。
伯耆国小松城を居城とし、小松庄を治めた一族と伝わる。
従来の説では小松城を本拠地として周辺の山々に城砦を築いていたとされるが、伯耆国天王原居館を中心とする居館群が本拠地とする説も見える。
小松庄で生産(たたら製鉄と云われている)を担当し、出来上がった物資・商品を名和氏が流通(海運)させることにより大きな財を成したと云われ、名和氏とは密接な関係にあった一族と考えられている。
1336年(延元元年/建武3年)6月30日(晦日)、一族の居城であった小松城へ出雲国造孝時の舎弟、六郎貞教率いる軍勢が侵攻してくると大手門付近で激しい戦闘が行われたが、その日のうちに落城したと伝えられる。(出雲千家家文書)
一説には2時間あまりで落城したと推定されている。
落城後の動向は不明であるが奇しくも同日、京都大宮では名和長年が戦死しており、その後の記述も見られなくなることから名和氏と共に没落していったと考えられる。