所 属
毛利
吉川
よみがな
人物名
そしき くえもん ながよし
祖式九右衛門長好
諱を「長吉」とも
別 名
そきゅう
祖九 / 祖九右
毛利家関連の古文書での略称
官 途
右衛門尉
出身地
不詳
生 年
不詳
没 年
不詳
氏
不詳
姓
不詳
諱
長好
列 伝
吉川家の家臣。吉川家の文書などでは「祖九」「祖九右」と略述される。
伯耆国米子城の普請奉行であった山縣春佳が関ヶ原の戦いに従軍し不在となることから後任を引き継いでいる。
1600年(慶長5年9月12日付)
吉川広家より直筆の書状を受け取っており、書状には戦勝祝いや西軍の動向、普請中であった米子城の進捗に対して緩まず滞りなく進めるよう記されている。(吉川広家書状 慶長5年9月12日付)
米子城の普請については山縣春佳(山九/山県九左衛門)と香川春継(香又)からも念を押されている。
関ヶ原の合戦の後は吉川広家の岩国移封へ付き従い、岩国へ移った後も普請奉行として城砦の築城に関わったとされる。