武将列伝帖

やまがた くざえもん はるよし

山縣九左衛門春佳

【氏】不明【姓】不明【名】山縣【通称】九左衛門【諱】春佳

別 名

山県九左衛門(やまがた くざえもん)

略 称

山九(さんく)

出 身

不明

官 途

左衛門尉

所 属

吉川氏

生 年

不明

没 年

不明

 

- 列 伝 -

吉川家の家臣。吉川家文書では「山九」と略述される。

 

1591年(天正19年)、吉川広家より湊山への築城(伯耆国米子城)が命じられた時の普請奉行。

米子城の城代、古曳吉種と共に新城の築城に取り掛かっている。

 

1592年(天正20年、文禄元年)、文禄の役では吉川広家に従い渡海。

同じく従軍していた古曳吉種は朝鮮半島で戦死していることから、文禄の役以降に米子城の登り石垣が建造されたとする場合、倭城に用いられた技術を持ち帰った人物として推定される。

但し、登り土塁と石垣の技術を応用して登り石垣を築く知見を既に持っていた可能性もあり、朝鮮半島の倭城に登り石垣の技術を持ち込んだ人物の一人であるとも推測される。

 

1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いでは吉川広家に従軍することとなり、米子城の普請奉行は祖式長好が引き継いでいる。

同年9月12日、祖式長好に宛てられた吉川広家直筆の書状では米子城の普請について万事抜かりないようにと香川春継と連名で伝えている。(吉川広家書状 慶長5年9月12日)

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