武将列伝帖
よどえ ふくひさ / よどい ふくひさ
淀江福寿 / 淀井福壽
【氏】不明【姓】不明【名】淀江【通称】不明【諱】福寿
別 名
-
出 身
汗入郡
官 途
不明
所 属
伯耆山名氏⇒尼子氏
生 年
不明
没 年
不明
- 列 伝 -
伯耆山名氏に仕えた有力国人(伯州衆)、淀江氏の一族。
汗入郡の在地豪族であり、伯耆山名氏に仕え伯耆国淀江城を任された。
1524年(大永4年)、尼子経久による西伯耆侵攻(大永の五月崩れ)によって居城を追われるが、後に尼子氏へと属し淀江城の城主に復帰したとされる。(伯耆民談記)
1540年(天文9年)9月1日、尼子晴久は重臣を集め、反旗を翻した毛利元就に対する軍議を行っている。
数日のうちに出雲国、伯耆国、因幡国、美作国、備前国、備中国、備後国、石見国、安芸国の兵50,000餘騎を動員し、吉田上村へと出向する先陣の大将として登場する。
副将に小鴨氏、吉川氏の部隊を伴っていたことも記述に見えるが戦場での詳細は不明。(西国太平記巻二 尼子晴久攻毛利事 并 尼子由来事)
淀江城の城主として記述が見えるのは伯耆民談記のみであり、伯耆民談記の元となった伯耆民諺記では淀江城の城主を山名守行としている。