伯耆国 会見郡

あいみとがまえじょう

会見外構城

鳥取県西伯郡南部町鴨部 外構城

所在地

鳥取県西伯郡南部町鴨部

城 名

あいみとがまえじょう

会見外構城

法勝寺城の出城と伝える。

築城主

不詳

築城年

不詳

廃城年

不詳

形 態

山城

遺 構

郭跡、腰郭、堀切、土塁、土橋、井戸跡

 

山頂部から尾根に沿った連郭式

 

北東の連郭部に所在

現 状

山林

備 考

史跡指定なし

縄張図

不詳

城 主

不詳

城将不詳

参考資料(史料及び文献、郷土史など)

伯耆志(因伯叢書 伯耆志巻二 大正5年8月 佐伯元吉 因伯叢書発行所)

米子史談-16-(佐々木謙)

年 表

不明

伯耆国法勝寺城の出城と伝える。

概 略

北西約200メートルに所在する伯耆国法勝寺城の出城(外構え)であり、東の法勝寺往来の監視を担った施設と推測される。

連郭式の山城で山頂の主郭を中心にして、北東、西、南東、南西と手裏剣状に郭跡が展開しており、北東の連郭のみ郭跡→堀切→郭跡→堀切と防御面を重視した構造となっている。

 

伯耆志 鴨部村の条 城跡の項

(略)今、戸構(トガマエ)と呼ぶ地あり。此彼の軍書に外構(トガマエ)とあるに同じ。

 

伯耆志では名称の通り法勝寺城を外敵から守るための城砦としており、伯耆国尾高城と伯耆国富繁城、伯耆国福島城と伯耆国外構城と似たような城郭関係が推測される。(但し、福島城外構城は相対したとする説あり)

一説には早い段階で廃城したと伝えるが、米子史談-16-では法勝寺城の出城とする性質や城下町の存在から法勝寺城と同時期の廃城とし、早期の廃城を否定している。

写 真

2014年2月1日

南東からの遠望

遠望

南西からの遠望

遠望

南からの遠望

遠望

南からの遠望

遠望

法勝寺城の遠望

遠望

西側の登山口

登山口

北側の登山口

登山口

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭東側の腰郭

主郭東側腰郭

主郭から南東方面へ連郭

南東側連郭

南東方面連郭の終点には五輪塔

南東側連郭

南東方面連郭の終点

南東側連郭

主郭から北東方面へ連郭

北東側連郭

主郭から北東方面へ連郭

北東側連郭

主郭から北東方面へ連郭

北東側連郭

主郭から北東方面の郭跡と堀切

北東側連郭

北東方面の郭跡に土塁

北東側連郭

北東方面は郭跡と堀切が連続する

北東側連郭

北東方面の堀切

北東側連郭

北東方面の堀切

北東側連郭

北東方面の堀切

北東側連郭

北東方面の堀切

北東側連郭

北東連郭の終点は辻堂

北東側連郭

埋もれた五輪塔

五輪塔

井戸跡

井戸跡

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