伯耆古城図録
ひらおかじょう
平岡城
鳥取県米子市淀江町福頼 / 鳥取県米子市淀江町平岡
別 名
-
遺 構
不明(連郭の郭跡と切岸、堀跡のような溝が見える)
現 状
福頼荒神宮、墓地、山林、畑地
築城年
不明
廃城年
不明
築城主
不明
形 態
丘城
備 考
史跡指定なし
参考文献
町政百周年記念 淀江風土記(平成元年12月 淀江町役場)
角川日本地名大辞典 31 鳥取県(昭和57年12月 角川書店)
縄張図
不明
概 略
町政百周年記念 淀江風土記にのみ、旧東谷村に古城跡が所在したと記述に見える。
淀江風土記の発行元(淀江庁舎)に問い合わせたが、古文書の記述から転載したまでの経緯しか追えず引用元も不明。
町政百周年記念 淀江風土記 東谷村の条
古城跡有。福頼左衛門。
城主を福頼左衛門とするが、いつの時代の人物か不明。個人を特定せず福頼氏とする記述とも考えられる。
古城跡の所在地についても不明で、平岡地内の地名に字「土井ノ内」が見えることから、字「土井ノ内」周辺が有力な候補と推定される。
現地の聞き取りからは以下の3説が聞かれた。
・福頼~平岡に跨った伯耆国福頼城の事ではないかとする説
・百塚遺跡周辺ではないかとする説
・旧三輪神社の社地跡(神宮さん跡)ではないかとする説
百塚遺跡の大部分と旧三輪神社の所在地については旧小波村に属する。
旧東谷村内で城跡と推測される場所は字「土井ノ内」が有力で、福頼~平岡に跨った福頼城の一部とする説が推定される。
平岡地内を歩くと壷瓶山の南側、登山道の登口辺りに平削地らしい地形が多数見受けられる。
福頼~平岡に跨ったとする説を採れば壷瓶山の山麓南~南西側に在り、山への侵入を防ぐ施設が考えられる。(但し、大部分は旧福頼村)
江戸時代には凶作が起こる度、坪上山(壷瓶山)に拠って農民が一揆を起こしていることから、村城のような簡素な施設が所在した可能性も推測される。
年 表
不明
福頼左衛門の居城とされる。(淀江風土記)
地 図
写 真
訪城日 2014/11/03
南側からの眺め
墓地の入口(福頼側)
昔の墓碑(福頼側)
壷瓶山への登山道
東側の帯郭
東側帯郭の切岸
東側の帯郭
東側の帯郭
堀跡
切通の通路
墓地
福頼荒神宮
福頼荒神宮の鳥居
福頼荒神宮境内