よみがな
人物名
はちつか あわのかみ
蜂塚安房守
出身
伯耆国日野郡
生年
不詳
没年
不詳
氏
源
姓
朝臣
名
蜂塚
通称
安房守
諱
不詳
官途
安房守
所属
尼子
列 伝
伯耆国江美城の草創を伝える日野郡の有力国人衆、蜂塚氏の一族で江美城の初代城主とされる人物。
一族の出自は不明だが清和源氏の新田氏を称し、鉄山経営(鉄穴及び製鉄)と開田の技術(稲作)に長けた一族とされる。
出雲国の尼子氏と誼を結んだとされる頃から日野衆の一翼として台頭し、日野郡の北東部で進氏と比肩する勢力を有した。
1484年(文明16年)、江美城を築城したとされるが、鳥取県神社誌(宮市神社の項)では文明年間に江美城へ在城したことのみが記述に見え、江美城はこれより以前、進氏が治める頃から存在していたとも考えられる。
また、文明年間頃の江美城は舟谷川を挟んだ北側の銀杏ノ段に所在としている。
1524年(大永4年)、大永の五月崩れの後に尼子方へ恭順したとされているが、1433年(永享5年)には尼子持久によって亀福山光徳寺(現在の鳥取県東伯郡琴浦町)への寄進が行なわれていることからも尼子氏が早い段階で伯耆国内に拠点を保持しており、当代以前より尼子氏と深い関係を持っていたことも伺える。