武将列伝帖

かめい のとのかみ やすつな

亀井能登守安綱

【氏】不明【姓】不明【名】亀井【通称】能登守【諱】安綱

別 名

亀井惣四郎(かめい そうしろう)

出 身

不明

官 途

能登守

所 属

尼子氏

生 年

不明

没 年

1566年(永禄9年)

 

- 列 伝 -

出雲国鈴垂城の城主。亀井秀綱の子とされる人物。伯耆志では亀井永綱の子としている。

1530年(享禄3年)頃には家督を継承したと考えられ能登守を名乗っている。

 

1566年(永禄9年)3月20日、家臣であった武良内匠頭の還暦祝いとして地引網に招かれ、伯耆国高岡城の陣屋で宴席の接待を受けている。

留守中であった鈴垂城杉原盛重による攻撃を受け落城し、境水道を挟んで炎上する鈴垂城を見ながら境の砂浜で自刃したとしている。

子の清若丸や乳母、付き従った遺臣らは毛利方へと寝返った武良内匠頭らとの戦闘により多くが討死、自刃している。(伯耆志)

郷土史では同様の内容にて亀井秀綱の出来事としている。(史実と系図 竹内町四百年史)

 

広瀬町史(上)では1566年(永禄9年)の出雲国月山富田城の開城に伴い降伏したとされている。

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