城娘図鑑
大龍山總泉寺(鳥取県米子市愛宕町)
伯耆志や伯耆民諺記がまとめられた江戸時代頃からの謎とされる曹渓院さん。
その方のお名前を冠したお寺なのですが、曹渓院さんがどのような人物なのか殆どわかっていません。
広くは中村一忠さんのお母さんと伝えられていますが裏付ける史料は見たことがありません。
伯耆志や伯耆民諺記でも異説ありと注釈が付いている時点で当時から謎だらけの人物のようです。
そのため側室かもしれない、養母かもしれない、などなど、多くの説が今でもささやかれていたりします。
感應寺さんと同じで米子城の南側の防衛を意識した設計がなされたようで、あちらは実戦に特化した小規模な郭配置、こちらは軍備を整えるための広大な郭配置が特徴です。
米子騒動ではお隣の出雲国から堀尾親子が援軍として800名余りの兵を率いて駐屯したようです。
米子城を外敵から守るために設計されたのに、まさか身内同士で戦うために使われることになるなんて…悲しいですね。