伯耆国 久米郡

うつぶきじょう おがもまる

打吹城 小鴨丸

倉吉 打吹城 小鴨丸

所在地

鳥取県倉吉市仲ノ町

城 名

打吹城 小鴨丸(うつぶきじょう おがもまる)

別 名

築城主

小鴨元清

築城年

1591年(天正19年)

廃城年

1615年(元和元年)

形 態

山城(出丸)

遺 構

郭跡(本丸北側腰郭、北方連郭)、石垣、切岸、土橋、畝状竪堀、横堀

「ち号演習」による塹壕敷設の影響を受けた可能性が高い。

「ち号演習」による塹壕痕である可能性が高い。

現 状

山林

備 考

史跡指定なし

縄張図

城 主

南条

小鴨元清

 

城 主

徳川

山田直時

慶長14年、中村家の改易により天領地となった際に幕府から派遣され周辺の統治を行う。

参考資料(史料及び文献、郷土史など)

陰徳太平記[香川正矩 編](明治44年5月 犬山仙之助)

伯耆民諺記(寛保2年 松岡布政)

伯耆民諺記(写)(昭和23年 原田謙)

伯耆民談記(昭和2年10月 佐伯元吉)

伯耆民談記 巻下(大正3年3月 佐伯元吉 因伯叢書発行所)

因伯文庫 伯耆民談記(昭和35年3月 萩原直正校註)

倉吉市誌 (昭和31年10月 倉吉市誌編さん委員会)

倉吉市史(昭和48年11月 倉吉市史編纂委員会)

新修 倉吉市史 第二巻 中・近世編(平成7年3月 倉吉市史編集委員会)

東郷町誌 資料編(昭和62年12月 東郷町誌編さん委員会)

年 表

1591年

天正19年

南条元続の死去により南条元忠が南条家の家督を継承すると小鴨元清が後見役となる。

小鴨元清岩倉城から打吹城内の屋敷へ移り住んだと伝え、同時期に当城も築かれたと推定される。

1615年

元和元年

一国一城令により本城の打吹城が廃城となったことに伴い、併せて役目を終えたと推定される。

概 略

打吹山の山頂(本丸)から北側へ約22メートル下がった位置に所在する。

主郭に対する防衛拠点として天正年間に小鴨元清が築いた出丸と伝える。

天守(天主)を守るため、天守台北側の切岸直下に築かれた腰郭を出丸の主郭とし、北面に表門を有し直下に犬走状の帯郭が配されていたと伝える。(伯耆民談記)

 

主郭西側には本丸枡形虎口へと繋がる土橋が明確に残存し、東側にも不明瞭ながら土橋が本丸へと接続しているがこちらは近年の遊歩道整備に係る造作とされている。

主郭から北側の尾根へと続く連郭との間に表門が所在したと記録されるが現在では痕跡を見つけるのは極めて困難となっている。

北側の尾根伝いに続く連郭から谷を隔てた東側には本丸東側の腰郭から続く連郭も見られ、何れも山麓の備前屋敷へと繋がっている。

時代による変遷も推測されるが居館から詰城への移動ルートは複数用意されていたことが伺える。

 

目立つ防御遺構として本丸の北西部に畝状竪堀が配されている。

東側の数条は明瞭に凹凸が見られるが西側に進むにつれてやや不明瞭となり、更にその先は崩落しているため往時に何条の竪堀が存在したかは不明。

伯耆民談記には竪堀の存在が明言されておらず主郭を囲むように犬走状の帯郭が展開したとのみ伝えている。

この帯郭跡も畝状竪堀群と同様に一部が崩落しているようで西側へ進むにつれ不明瞭となる。

主郭東側から畝状竪堀群に向かって横堀状の痕跡が接続している箇所もあるが、これは大東亜戦争末期の「ち号演習」による造作物であることが判明している。

畝状竪堀も「ち号演習」による改変(土取り)と見る向きもあり、往時の竪堀とは認めていない考察も見える。

打吹山の山中には「ち号演習」による塹壕跡が多く残るが作戦の発令と終戦までの普請期間を遺構規模から検討した場合、「ち号演習」による塹壕跡の全てが新設ではなく、往時の堀跡を再利用した箇所も幾つか存在する可能性が推測される。

主郭を巡る横堀や打吹城備前丸の北側の二重堀切、本丸(主郭)の東側に見える空堀と土橋など、鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)に於いて図示がなされていない遺構は「ち号演習」による後世の改変を考慮したものと推測される。

 

伯耆民談記 巻之第十五 久米郡古城之部 一、同城(倉吉)地理の項

(略)本丸より北にあたり十二間下りて小鴨丸という廓あり。南北十三間、東西二十五間、表門の跡は北に見ゆ。此丸の下二間にして四方に犬走りあり。小鴨左衛門尉元清、家城岩倉廃滅の後羽衣石に走り遊客となって居りしが、後に此地に住して南条中務太輔の後見となりて国政を沙汰す。仍て小鴨丸と称し来れり。

 

因伯記要 第三章 名所旧跡 第五 東伯郡の条 倉吉城跡の項

(略)本城の北を小鴨丸と云う。

 

1591年(天正19年)、南条元続の死去により南条元忠が南条家の家督を継ぐと小鴨元清が後見役となり、岩倉城から打吹城内の屋敷へ移り住んだと伝える。

南条元忠の後見役となった後に当城を築いたとされるが、小鴨元清の居館に関しては記述が見えず正確な所在地は不明。

居住地には諸説あり、当城に居を構えたとする説、山下の備前屋敷近くに軒を連ねたとする説などが唱えられている。

この他にも打吹城越中丸から北に所在した浅田山の打吹城元清丸にも居館が所在した可能性が残る。

写 真

2022年10月30日

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭の石垣

主郭石垣

土橋(西側)

主郭土橋

土橋(西側)

主郭土橋

畝状竪堀群(西側)

畝状竪堀

畝状竪堀群(西側)

畝状竪堀

畝状竪堀群(西側)

畝状竪堀

畝状竪堀群(西側)

畝状竪堀

畝状竪堀群(中央)

畝状竪堀

畝状竪堀群(東側)

畝状竪堀

畝状竪堀群(東側)

畝状竪堀

畝状竪堀群(東側)

畝状竪堀

横堀(伝・ち号演習痕)

ち号演習痕

枡形虎口(本丸)

本丸枡形

枡形虎口(本丸)

本丸枡形

石垣(本丸北面)

本丸石垣

石垣(本丸北面)

本丸石垣

石垣(本丸北面)

本丸石垣

写 真

2013年5月6日、2016年4月9日

横堀(伝・ち号演習痕)

ち号演習痕

横堀(伝・ち号演習痕)

ち号演習痕

横堀(伝・ち号演習痕)

ち号演習痕

横堀(伝・ち号演習痕)

ち号演習痕

東側土橋(登山道)

登山道

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