伯耆古城図録

たかやまとりで

高山砦

鳥取県米子市奥谷 / 鳥取県米子市宗像 / 鳥取県米子市美吉 / 鳥取県米子市長砂町

別 名

高守山砦(たかもりやまとりで)

遺 構

郭跡(腰郭・帯郭)、堀切、土橋

現 状

山林、索道(中国電力)、宗像古墳群

城 主

不明

築城年

不明

廃城年

不明

築城主

不明

形 態

山城

備 考

史跡指定なし

参考文献

伯耆志(因伯叢書 伯耆志巻三 大正5年9月 佐伯元吉)

米子市埋蔵文化財地図(平成6年3月 米子市教育委員会)

縄張図

米子市埋蔵文化財地図に図示あり

 

概 略

伯耆国奥谷城より北側の山中(奥谷、美吉、宗像、長砂町)に所在する。

奥谷集落では何らかの施設が高守山に存在したことが伝わっている。

 

伯耆志 宗像村の条

村の北西の山を高山と呼ぶ。山上平地あり。砦と見えたり。伝詳かならず。

 

伯耆志では砦跡と推定している。

山中には中国電力の送電線用の鉄塔が建設されており、山腹を貫通し山陰自動車道のトンネルが通る。

尾根上は鉄塔建設の際に附けられた索道による改変は考えられるが、道中に見える宗像39号墳(円墳:宗像)、宗像40号墳(前方後円墳:奥谷)、宗像41号墳(前方後円墳:奥谷)、宗像43号墳(円墳:宗像)、宗像44号墳(円墳:宗像)は発掘調査が行われている。(米子市埋蔵文化財地図)

何れの墳墓も天板が開封済の状態であるが、調査の以前から盗掘に遭っていたことは判っている。

 

宗像41号墳は高山古墳とも呼ばれ当城砦の主郭部と推測される。

高山のピークとなる高山古墳からの眺望は良好で北は日本海の海上から隠岐の島まで、東は箕蚊屋平野から伯耆国尾高城の先の大山方面まで、西は伯耆国米子城から先の中海の海上、その先の島根半島までが見渡せる。

唯一、南は山に遮られるが伯耆国石井城や伯耆国七尾城への伝えが目的の施設と考えると運用上の支障は見当たらない。

 

伝承に狼煙台の存在が伝えられるが墳墓の周囲には腰郭のような帯郭が見え、古墳を利用した施設の設置が考えられそうである。

宗像40号墳など平削地が比較的多い場所は主郭への備えとも考えられ、北方面からの侵攻に対する防戦の準備が見える。

但し城砦の規模に対して各方面に接続する道が多いことから籠城戦には向かない構造となっている。

逆に攻め込まれた際には多くの退路(奥谷、美吉、宗像、長砂町)が確保できる利点が考えられることから、当砦での戦闘はあまり意識せず、最低限の情報だけ収集し不利となれば速やかに放棄する意図も推測される。

郭跡と考えられそうな平削地は少ないが山全体として見ると規模は比較的大きいため、地元の住民や山岳戦(ゲリラ戦)に秀でた将兵が置かれた可能性も考えられる。

 

年 表

不明

伯耆志に砦跡と推測する記述が見える。

地 図

 

写 真

訪城日 2019/06/02、2019/12/15

北西からの遠望(2019.12)

北西からの遠望(2019.6)

南西からの遠望

東からの遠望

東側索道入口

索道

最初の鉄塔(1基目・2基目)

長砂町方面の眺め

索道を進むと平坦地

長砂町方面の眺め

索道を東側へ

索道を進むと鉄塔(3基目)

鉄塔(3基目)

鉄塔(3基目)から長砂町方面の眺め

索道分岐点(左が東)

索道に列石

索道分岐点(左が東)

巨石

索道に列石

索道に列石

道中に堀切

堀切(側面)

堀切

宗像39号墳(円墳)

宗像古墳群

宗像39号墳の開封状況

宗像40号墳の開封状況(I字)

宗像40号墳は2ヶ所の開封跡

宗像40号墳の開封状況(L字)

宗像40号墳の開封状況(L字)

宗像40号墳の開封状況(L字)

宗像40号墳(前方後円墳)周辺

宗像43号墳(円墳)周辺

宗像44号墳(円墳)周辺

主郭の虎口(東側)

主郭の腰郭(西側)

主郭(宗像41号墳)

宗像41号墳の開封跡

主郭の平削地

主郭東側の腰郭

主郭北側の腰郭

主郭北側の腰郭の高低差

主郭から西側の遠望(中海方面)

主郭から西側の遠望(中海方面)

主郭から南側の遠望(会見方面)

主郭から東側の遠望(大山方面)

主郭から西側に鉄塔(4基目)

鉄塔(4基目)

西側には小規模な郭跡

西側の郭跡

西側の郭跡

奥谷への道

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