所 属

毛利

吉川

よみがな

人物名

ふくはら じろうたいふ もとひで

福原次郎大輔元秀

 

官 途

不詳

出身地

不詳

生 年

不詳

没 年

1571年4月12日(元亀2年3月18日)

不詳

不詳

元秀

列 伝

毛利家の家臣とされるが吉川元春の家老であり、山陰方面の旗頭を務めた際には伯耆国米子城飯山城の城番であったと伝える。

 

1569年(永禄12年)

尼子氏の滅亡後暫くは毛利方に与した山名秀之米子城飯山城の城主に任じられていたが、山名之玄が尼子残党の山中幸盛と結び米子城飯山城を奪取している。

山名之玄の謀反には毛利方の吉川元春らが派兵され、数日の内に米子城飯山城は毛利方へと回復されている。(直接の記述は見えないが、この戦に従軍し伯耆入りしたと考えられる)

謀反を企てた山名之玄は自害、代わって米子城飯山城)の城主へと任じられている。

 

1570年(元亀元年)

出雲国の布部山合戦では毛利輝元の部将として参陣する。

布部山の中山口に布陣する尼子方の秋上家久横道正光らの部隊に対し桂元信と共に対峙している。

 

1571年4月12日(元亀2年3月18日)

羽倉元蔭の率いる尼子残党が夜陰に紛れ水路より米子城飯山城へ侵入する。

城下への襲撃を阻止するため手勢を率いて迎撃するが城下からは既に火の手が上がっており、消火作業に気を取られた隙を突かれ羽倉元蔭によって討ち取られている。

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