武将列伝帖

さかい よざえもん

境與三右衛門 / 境与三右衛門

【氏】不明【姓】不明【名】【通称】與三右衛門【諱】不明

別 名

出 身

不明

官 途

右衛門尉

所 属

吉川氏

生 年

不明

没 年

不明

 

- 列 伝 -

吉川家の家臣。出雲、伯耆、因幡の各地を転戦した歴戦の勇将。

 

1581年(天正9年)、第二次鳥取城の戦いでは因幡国丸山城に籠城とある。

吉川経家の自刃によって戦が終結し丸山城から退去する際、寄せ手である豊臣方の兵が門の辺りで下城する敗軍の将兵に対し、ほこり銭として銀子五分を要求する様を見るやカラカラと高笑いしながら近づくと、

「美濃や尾張、また五畿内の腰抜が命惜しさに武士の作法を忘れ出すものであろう?中国では首銭といい、真の武士が首銭を出す事があるものか。恥辱を受けてまで生き長らえることに意味はない。城に残っている者たちよ、吾と共に皆で斬死にしようではないか」と周囲を煽り寄せ手を罵倒している。

鎗を引っ提げた風貌は相手が如何なる鬼神であろうと真中を貫かんとする気迫と面構えで、寄せ手の兵は恐怖し気圧され、ほこり銭を取ることなくそのまま下城するよう促している。(陰徳太平記 巻之六十四 鳥取丸山扱之事 付 経家巳下自裁之事)

下城後、敗れた鳥取方の将兵は山名久氏によって伯耆国泊城まで送られ、そこから各々東西に分かれ帰路についたとある。

 

1585年(天正13年)、南条元続の支援を受けた行松次郎四郎が伯耆国汗入郡へ侵入した際は大坪甚兵衛と共に牛尾春重の部隊に合流している。(陰徳太平記 巻ノ七十 伯州香原山合戦ノ事)

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