武将列伝帖

はら し

原氏

【氏】不明【姓】不明【名】

出 身

日野郡

所 属

日野山名氏⇒尼子氏・毛利氏

 

- 列 伝 -

伯耆国日野郡に勢力を持った在地国人の一族。

 

日野山名氏日野氏進氏蜂塚氏と並び、日野郡内の有力国人衆で日野衆の一角と称されるが本拠地は不明。

日野山名氏日野氏は日野郡南部(東端は伯耆国黒坂要害山城周辺まで)、進氏蜂塚氏は日野郡北部(西端は伯耆国半ノ上城周辺まで)に基盤を築いていたことから両陣営の緩衝地となる根雨周辺が推測される。

 

元亀年間の尼子再興戦では他の日野衆と共に尼子方へ与し、日野郡内を転戦している。

1571年(元亀2年)5月9日、河村郡の伯耆国石脇城付近の野戦場(久塚表/九塚表)で行われた合戦では一族の原又太郎が戦功を挙げ、尼子勝久より感状を賜っている。(尼子勝久感状〔米井家文書〕)

久塚表の古戦場が所在した旧久津賀村に隣接する旧三橋村は原村、園村、宇谷村が合併した村とすることから、原又太郎の戦功には感状の他、後に原村となる領地も与えられたことが推測される。

 

一族の多くは尼子方に属したとされるが、杉原盛重の部将として登場する原権六など、少数だが毛利方に与した一族も存在したようである。

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