伯耆古城図録

たいこやまとりで / たいこたたきやまとりで

太鼓山砦 / 太鼓叩山砦

鳥取県米子市宗像 / 鳥取県米子市長砂 / 鳥取県米子市観音寺

別 名

遺 構

郭跡、堀切、溝状遺構、支柱跡、石棺、石室(全ての遺構が配水池建設のため消滅)

現 状

米子市水道局中央配水池、米子市水道局南部配水池、山林

城 主

(伯耆山名方)久代氏

(尼子方)福頼元秀

(毛利方)杉原盛重福頼元秀古曳吉種

築城年

不明(鎌倉時代の遺物あり)

廃城年

不明

築城主

久代氏

形 態

山城

備 考

史跡指定なし

参考文献

観音寺狼谷山遺跡発掘調査報告書

縄張図

米子市埋蔵文化財地図に図示あり

 

概 略

米子市水道局の配水池設置工事に伴い、2013年(平成25年)5月から観音寺狼谷山遺跡の現地調査が行われ、同年12月15日に一般財団法人米子市文化財団 埋蔵文化財調査室主催で一般公開が行われた。

かつての東宗像22号墳の所在した山は中央配水池に、東宗像21号墳が所在した山は南部配水池の施設となり、遺構は完全に消滅。

 

発掘調査では東宗像22号墳に石棺、東宗像21号墳に石室が出土し、溝状遺構や柵跡などが確認されている。

東宗像22号墳、東宗像21号墳周辺には古墳の凹凸を利用し中世に建造されたと考えられる郭跡が残り、つぶて石や大筒用鉛弾も出土していることから伯耆国戸上城の支城(出城)が所在した可能性が高いとされ、鎌倉時代の物と考えられる陶磁器の破片も出土していることから比較的身分の高い人物の居館などの存在も伺わせる。

 

東宗像21号墳からは伯耆国米子城戸上城、伯耆国尾高城、伯耆国石井要害、伯耆国手間要害など周辺諸城が一望でき、戸上城の支城として考えた場合、現在の通説とされる城砦の規模や重要性といった認識が大きく改められる可能性もある。

 

太鼓叩山の字は山に伝えの設備(太鼓)が置かれたことに由来すると云われる。(別名に太鼓山とも)

麓に「的場」の字も残るがこちらは明治時代に射撃場があったことから付けられた字であると伝わる。

 

配水池設置工事に伴い遺跡の大部分は埋め戻し(池の底になるため完全な破壊)予定であったが、地元の要望により東宗像22号墳の石棺は福市の考古資料館に展示、東宗像21号墳の石室は配水池の工事完了後に場所を移して復元、保存される方向となった。

 

年 表

鎌倉時代

鎌倉時代と思われる出土品が残り、居館や城郭の存在が伺える。

戦国時代

鉛弾の出土から、大筒が配備されていたと考えられる。

1600年頃

慶長年間

伯耆国戸上城と併せて廃城が推測される。

地 図

 

写 真

訪城日 2018/04/22

麓(西側)からの遠望

南側からの遠望

中央配水池の施設

西側の麓から舗装道路

溝状・段状遺構の所在した場所

整地による改変

堀切の所在した場所

22号墳付近の腰郭が所在した場所

写 真

訪城日 2013/12/15

伝・太鼓叩山砦(鉄塔の左側の山)

太鼓山から戸上城

北側の溝状遺構と段状遺構

麓の様子(北西)

麓の様子(北西)

北側の段状遺構

北側の櫓台跡

大堀切

東宗像21号墳の郭跡

東宗像21号墳の郭跡(溝状遺構)

東宗像21号墳の郭跡(溝状遺構)

東宗像21号墳の郭跡(平場)

東宗像21号墳の郭跡(平場)

東宗像21号墳の郭跡(平場)

東宗像21号墳の郭跡(北腰郭)

東宗像21号墳の郭跡(西腰郭)

東宗像21号墳の郭跡から堀切

東宗像21号墳

東宗像21号墳の石室

東宗像21号墳の石室

東宗像21号墳の石室

東宗像21号墳の郭跡(南腰郭)

東宗像21号墳の郭跡(南西腰郭)

東宗像21号墳の郭跡(堀切)

東宗像21号墳の郭跡(堀切)

東宗像21号墳から山市場方面

東宗像21号墳から手間方面

東宗像21号墳から新山方面

東宗像22号墳

東宗像22号墳

東宗像22号墳の郭跡の柵柱跡

東宗像22号墳の郭跡の溝状遺構

東宗像22号墳の郭跡の柵柱跡

東宗像22号墳の郭跡の柵柱跡

東宗像22号墳の石棺

東宗像22号墳の石棺

東宗像22号墳から戸上城

東宗像22号墳から山市場方面

東宗像22号墳から箕蚊屋方面

出土遺物(土器片)

出土遺物(鉛弾)

出土遺物(つぶて石)

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